伝統・民族

セヴダリンカ

Sevdalinka

サラエボ・モスタル / ボスニア・ヘルツェゴビナ / バルカン · 1550年〜

ボスニアの抒情歌謡伝統。

どんな音か

セヴダリンカの声は前に出ない。ウードまたはサズの低音が先行し、その後ろで声が語りかけるように始まる。旋律はオスマン朝由来のマカーム(旋法)を骨格にしながら、そこから微分音的にずれていく部分がある。声の届く音域は広くなく、むしろ中低音に声の芯がある。「セヴダ」はアラビア語の「黒い胆汁(メランコリー)」に由来し、愛の欲求不満や別れの痛みが歌詞の主題だ。よく晴れた昼間よりも夜に聴いたほうがはまる音楽だと思う人が多い。

生まれた背景

セヴダリンカはオスマン帝国統治下のボスニア(16〜19世紀)で都市の市民社会に根付いた。オスマンの宮廷音楽と、バルカン先住民の民謡が長い時間をかけて混ざり合い、サラエヴォやモスタルのカフェや中庭で歌われた。19世紀後半にオーストリア=ハンガリー帝国がボスニアを占領した後も、この歌は消えなかった。1990年代のユーゴスラヴィア内戦でサラエヴォが包囲された時期、セヴダリンカはむしろ文化的アイデンティティのシンボルとして強調された。

聴きどころ

「Kraj Tanana Šadrvana — Safet Isović (1965)」では、ウードが伴奏を始めてから声が入るまでの数秒の間に注意する。その静寂の質がセヴダリンカの空気感を決めている。「Moj Dilbere — Mostar Sevdah Reunion (1999)」はより現代的な録音で音質が良く、バイオリンとウードの絡みが細部まで聴き取れる。「Sve Behare Ja Probrala — Damir Imamović (2016)」はより解体されたスタイルで、若い演奏者がこのジャンルをどう更新しているかがわかる。

発展

20世紀のSafet Isović、Himzo Polovinaが伝統的歌唱を確立。1990年代戦後にMostar Sevdah ReunionやBožo Vrećoが世界にアピール。Damir Imamovićが現代化で再評価をリード。

出来事

  • 1962: Himzo Polovina黄金期
  • 1999: Mostar Sevdah Reunion結成
  • 2010s: Damir Imamović現代化

派生・影響

セルビア・スターラ・グラドゥスカ・ペスマ、マケドニア都市歌と類縁。

音楽的特徴

楽器サズ、アコーディオン、ヴァイオリン、声

リズム緩やかな自由拍、メリスマ装飾、トルコ的旋法

代表アーティスト

  • Safet Isovićボスニア · 1956年〜2007
  • Mostar Sevdah Reunionボスニア · 1999年〜
  • Damir Imamovićボスニア · 2005年〜

代表曲

日本との関係

セヴダリンカ日本でほとんど知られていない。バルカン音楽全般が日本での露出は低く、旧ユーゴ地域の音楽文化は研究者以外への接点が少ない。2000年代のイーノ・スヴィット・ヴォーカル・アンサンブルなど来日したバルカン合唱団の公演で断片的に知られることがある程度だ。

初めて聴くなら

「Kraj Tanana Šadrvana — Safet Isović (1965)」で古典的なスタイルから入り、次に「Moj Dilbere — Mostar Sevdah Reunion (1999)」へ。同じジャンルが年代を経てどう変化するかを確認しながら聴くと、音楽の輪郭がはっきりする。

豆知識

セヴダリンカ」という言葉の「セヴダ」はアラビア語の体液病理学用語(黒い胆汁=メランコリー)のトルコ語経由の借用語だ。サラエヴォには今もセヴダリンカ専門の「セヴダ・センター」があり、楽曲の記録保存と演奏の継承を行っている。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1550年代1700年代1900年代セヴダリンカセヴダリンカクレズマークレズマーレベティコレベティコ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
セヴダリンカを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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