エジプト古典(ウンム・クルスーム時代)
20世紀前半~中盤のカイロで、ウンム・クルスームを頂点に成立したアラブ世界共通の古典歌謡様式。
どんな音か
ウンム・クルスーム時代のエジプト古典歌謡は「タラブ(感情的恍惚)」を目指す音楽だ。ウンム・クルスーム(1904頃〜1975年)のコンサートは数時間に及び、同じフレーズを何度も繰り返すたびに観客は歓声を上げ、「アッラー!」と叫んだ。声は倍音が多く、長い旋律線がマカーム(アラブ音楽の音階様式)の輪郭に沿ってゆっくり展開する。伴奏はウード(リュート)、カーヌーン(琴に近い弦楽器)、ヴァイオリン、ネイ(葦笛)、リズム打楽器(ドラム)が混在し、管弦楽的なアレンジを施した大編成になることも多い。Mohamed Abdel Wahab(1900〜1991年)は主に作曲家・アレンジャーとして活躍し、ウンム・クルスームへの楽曲提供者としても重要な人物だ。
生まれた背景
聴きどころ
Mohamed Abdel Wahabが作曲し、ウンム・クルスームが歌った『Inta Omri(あなたは私の命)』(1964年)は60分近い録音で、同じフレーズが繰り返されるたびに観客の反応が変わる様子をライブ版で確認できる。マカーム(音階)の「ニャガ」「ラースト」「バヤーティー」などの違いは西洋音楽の長調・短調に相当するが、微分音が含まれるためより複雑な感情的ニュアンスを持つ。ウードの音が旋律を先導し、ヴァイオリンが追いかける対話パターンを追うと、アンサンブルの構造が見えてくる。
発展
ウンム・クルスームの月例コンサートはアラブ全域で「木曜の夜」と呼ばれ放送され、国家元首と並ぶ規模の影響力を持った。1975年の彼女の葬儀には300万人が集まったと言われる。後の世代ではアブデルハリーム・ハーフェズ、ファリード・アル・アトラシュが継承し、現代のフェイルーズやマジダ・アル・ルーミに連なる。
出来事
- 1923: ウンム・クルスーム録音開始
- 1934: 国営ラジオ「カイロ放送」開局
- 1957: アブデルハリーム・ハーフェズ全盛期
- 1975: ウンム・クルスーム逝去・国葬
派生・影響
アラブ・タラブ、レバノン・ザジャル、シリア・ムワシャハ、現代アラブ・ポップに大きな影響。
音楽的特徴
楽器ヴァイオリン、カヌーン、ウード、ナイ、リク、合唱、独唱
リズムマカーム移動、長大な即興メリスマ、サマイ拍子
代表アーティスト
- Mohamed Abdel Wahab
代表曲
- Ahwak — Mohamed Abdel Wahab (1957)
Cleopatra — Mohamed Abdel Wahab (1952)
Lailat Hob — Mohamed Abdel Wahab (1972)
Inta Omri — Mohamed Abdel Wahab (1964)
Inta Omri (composition) — Mohamed Abdel Wahab (1964)
日本との関係
初めて聴くなら
Mohamed Abdel Wahabが作曲した『Inta Omri』(1964年)のライブ録音が最初の一曲。最初の10〜15分だけでも聴けば、タラブの感覚と「繰り返しが快楽になる」仕組みが体感できる。静かな夜、集中できる環境で聴くことが前提の音楽で、BGMとして流すのには向いていない。
豆知識
ウンム・クルスームのコンサートは毎月第一木曜日に開催され、アラブ世界全体でラジオ中継されていた。1975年に彼女が亡くなったとき、カイロには数百万人が集まったとされ、当時の最大の葬儀の一つとなった。エジプトのポンド紙幣には彼女の肖像が使われており、歌手が国家の象徴として紙幣に刷られるという例は世界的に見ても稀だ。
影響・派生で結ばれたジャンル
同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル
- 伝統・民族サイディ音楽
