粵劇
広東省・香港・マカオで数百年かけて育まれた広東語の地方戯曲。歌・武術・語りが一体となった舞台芸術で、20世紀半ばに任剣輝・白雪仙のコンビが頂点を極めた。
どんな音か
粵劇の音は、高く張り詰めた広東語の声から始まる。主役の生(シン、男役)や旦(ダン、女役)は、鼻腔に響かせた独特の発声で長い音引きをつくる。伴奏の中心は二胡に近い高胡(ガオフー)で、細く鋭い弦音が通奏低音として流れる。そこに锣(ドラや銅鑼)の炸裂、木魚の乾いた打音、チャルメラ系の喇叭が重なり、音量は突然跳ね上がる。テンポは台詞まわしによって激しく変わり、武将の登場では打楽器が嵐のように密集し、恋の別れ場面では弦だけが残って静まり返る。衣装は重く、袖を翻すだけで3メートル近い水袖が空中を舞う。声と動きが楽器の一部として作曲されているため、録音で聴くよりも映像で観ないと全体像がつかみにくい。
生まれた背景
聴きどころ
まず声の「做工(ゾウゴン)」に注目してほしい。広東語の6声調が旋律と一体化しているため、言葉の抑揚がそのままメロディになっている。高胡の音程と歌声がどこでユニゾンになり、どこでずれるかを追うと、作曲の意図が見えてくる。次に打楽器の「鑼鼓(ロウグウ)」の使い方。俳優が登場・退場するタイミングや、感情が極まる瞬間に、大きな銅鑼がごく短く割り込む。これは感情の「句読点」として機能している。『帝女花』の「香夭」(ヒョンユウ)の場面では、二人の死に向かう静寂と打楽器の消え方が肝になる。
発展
20世紀前半に薛覚先・馬師曾ら男性スターが現代化を推進し、ジャズや西洋楽器を取り入れた。香港では任剣輝・白雪仙の『任白』コンビが伝説的人気を得、戦後映画化も盛んだった。文化大革命期に大陸では弾圧されたが、香港・東南アジア華僑社会で継承された。
出来事
- 1854年: 紅船粤劇団の弾圧。
- 1889年: 八和会館設立。
- 1956年: 任白コンビ『紫釵記』。
- 1976年: 香港粵劇学会発足。
- 2009年: 粵劇がユネスコ無形文化遺産代表一覧表に登録。
派生・影響
粵語ポップ(粵劇からの旋律的影響)、香港映画(『大紅燈籠高高掛』など)、海外華人コミュニティの粵劇アマチュア団体活動を生んだ。
音楽的特徴
楽器高胡、二胡、椰胡、月琴、揚琴、嗩吶、ジャズ系西洋楽器
リズム梆黄声腔、広東語九声に応じた旋律、文武両様の演目
代表アーティスト
- 任剣輝
- 白雪仙
代表曲
- 帝女花 — 任剣輝 (1957)
日本との関係
戦前・戦中の横浜や神戸の中華街では在留広東系住民のコミュニティで演じられていたが、日本人の間で流通することはほとんどなかった。2000年代以降、香港映画ファンの間でウォン・カーウァイ作品(『花様年華』ほか)の音楽文脈から粵劇へ遡る人が増えた。NHKのアジア音楽特集やワールドミュージックのレコードショップを通じて断片的に知られる程度で、日本語の体系的な解説書もまだ少ない。
初めて聴くなら
入門に最適なのは任剣輝・白雪仙の『帝女花 — 香夭』(1957年)。全体は長大だが「香夭」の場面だけ切り出して聴いても、粵劇の声と弦の関係がよくわかる。映像付きで観るとより理解が深まるため、YouTubeで「帝女花 香夭」を検索して舞台版や映画版を確認することを強く勧める。
豆知識
粵劇の衣装に使われる水袖(スイーズ、長い白い袖)は、俳優が感情を表現する「第二の声」とも呼ばれ、その扱い方には専用の稽古が何年も必要とされる。また「紅船班」という言葉は、かつて劇団が赤く塗った船に住み込みながら珠江の村々を巡業していた歴史に由来する。
