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伝統・民族

ビクツィ(ベティ伝統)

Bikutsi (Beti Tradition)

ヤウンデ / エボロワ(Ebolowa)/ エヨヨ(Enongal) / カメルーン / 中部アフリカ · 1940年〜

別名: Bikutsi tradition / Beti bikutsi / Traditional bikutsi

カメルーン中部ベティ族の女性による6/8集団歌唱の伝統。1950-70年代にAnne-Marie Nziéが確立した歌謡形式。

どんな音か

ビクツィ(ベティ伝統)は、カメルーン中部熱帯雨林のベティ諸族(Ewondo、Bulu、Eton、Fang)が発達させた6/8の女性中心の集団歌謡で、1980年代Les Têtes Brûlésが電化する以前の伝統的な形式を指す。中心楽器はmvet(ベティの弓琴)、balafon(木製鍵盤打楽器)、ndem(ハンド・ドラム)、tibiap(小型木の打棒)、そしてリード歌手と集団応答の女声コーラス。テンポは中〜高速の6/8、拍の外での「破り」を頻繁に入れ、コール&レスポンスの女性合唱が歌詞の率直な性愛的表現と社会批評を担う。既存slug`bikutsi`が1980年代以降の電化ダンス版に重点を置くのに対し、この項目はAnne-Marie Nziéを起点とする伝統的な女性歌唱の系譜と、それを引き継ぐ現代のアコースティック派の担い手に焦点を当てる。

生まれた背景

ベティ諸族はカメルーン中部の熱帯雨林に暮らす言語的に近接した諸民族で、女性たちは家事労働(調理、水汲み、農作業)と共同体儀礼の場で集団歌唱の伝統を育てた。「bikutsi」の語源はベティ語で「地面を叩く/踏みしめる」の意で、ダンスの足踏み動作を指す。植民地期のフランス・カトリック教会と行政は、bikutsiの率直な性愛的歌詞を「野蛮」と見なし公的な場からの排除を進めたが、女性たちのコミュニティ内での歌唱は絶えなかった。この伝統様式を最初に商業録音の形で確立したのがAnne-Marie Nzié(1932-2016、Bibia村生)で、彼女の1950年代半ば以降の録音がビクツィの現代様式を確定した。1970年代の代表作『Liberté』(1970)は「ビクツィの母」としての位置を彼女に与えた。

聴きどころ

まず6/8のリズムに耳を慣らしてほしい。ベティのbikutsiは西洋耳の4/4ではなく6拍を2つの3拍にグループ化したポリリズムで、balafonの高音が3拍ずつ・ndem(ハンド・ドラム)の低音が2拍ずつを刻み、両者の絡み合いが独特の推進力を生む。次に女性のコール&レスポンスで、リード歌手が短いフレーズを叫び、集団が同じ長さで応答する。詩の内容は伝統的に率直な性愛的表現と社会批評を含み、この「女性が公の場で語る」空間としての機能そのものが伝統ビクツィの核だ。Anne-Marie Nzié『Liberté』(1970)は、伝統様式をコンパクトなバンド編成にまとめた記念碑的な作品。K-Tinoの1990年代の楽曲では、この率直な歌詞の伝統が現代化された形で継承されているのが確認できる。

発展

Anne-Marie Nziéは1950年代半ばに録音を開始し、1960年代のヤウンデでコンパクトなバンド編成(ギター、ベース、伝統打楽器)でビクツィのモダン化を進めた。彼女の1970年『Liberté』はビクツィの現代的様式の到達点として評価され、以降数十年にわたり「ビクツィの母」として君臨した。1980年代のLes Têtes Brûlésは彼女の遺産を電化ロック路線に翻案したが、伝統寄りの女性歌手の系譜はK-Tino(本名Marthe Zambo、1963-、「バール村の女」の異名)が1990年代以降引き継いだ。彼女の率直な性愛的歌詞は依然として社会論争の対象になり、女性の表現空間としてのビクツィの継続性を可視化した。同世代のCoco Argenté、Sergeo Poloがアコースティック寄りの路線を担う。

出来事

  • 1950s: Anne-Marie Nzié録音開始
  • 1970: Anne-Marie Nzié『Liberté』
  • 1987: Les Têtes Brûlés電化ビクツィで国民音楽化
  • 1990s: K-Tinoの率直な性愛的歌詞論争
  • 2016: Anne-Marie Nzié逝去

派生・影響

既存slug`bikutsi`(電化ダンス版)と直接の兄弟関係。マコッサ(Cameroon沿岸のドゥアラ族)、アカ・ピグミー・ポリフォニー(中央アフリカ熱帯雨林の平等主義的合唱)と地理的・文化的近接。

音楽的特徴

楽器mvet(弓琴)、balafon(木製鍵盤)、ndem(ハンド・ドラム)、tibiap(小型木の打棒)、時にngal(角笛)、女性リード歌手+集団応答

リズム中〜高速6/8、拍の外の頻繁なブレイク、女性コール&レスポンス、率直な性愛的歌詞、儀礼由来の長時間反復

代表アーティスト

  • Anne-Marie Nziéカメルーン · 1950年〜2016
  • K-Tinoカメルーン · 1990年〜
  • Sergeo Poloカメルーン · 1995年〜
  • Coco Argentéカメルーン · 2000年〜

代表曲

  • Beza Ba DzoAnne-Marie Nzié (1985)
  • LibertéAnne-Marie Nzié (1970)

その後の代表曲

日本との関係

日本での認知はほぼゼロだ。カメルーン音楽への日本での関心は主にManu Dibango『Soul マコッサ』(1972)経由のマコッサに集中し、ビクツィ・アコースティック派の女性歌唱伝統は事実上未紹介の状態にある。Anne-Marie Nziéの音源は日本では正規流通しておらず、K-Tinoら現代の担い手も日本語圏では言及の対象になっていない。日本のカメルーン音楽紹介の空白地帯の一つ。

初めて聴くなら

最初はAnne-Marie Nzié『Liberté』(1970)、伝統ビクツィの現代様式を確立した記念碑的作品。1970-90年代の彼女の録音群は、電化前のビクツィがどのような音場を持っていたかを示す最良の参照点。次にK-Tino『Femme du Peuple』(1995年頃)、電化世代を経た後のビクツィが女性の率直な表現空間としてどう継続しているかが聴ける。Sergeo PoloとCoco Argentéの2000-2010年代の録音は、アコースティック寄りの現代派の入り口として機能する。並行して既存slug`bikutsi`のLes Têtes Brûlés『Hot Heads』(1987)を聴くと、電化以前と以降の対比が明確になる。

豆知識

「bikutsi」の語源はベティ語で「地面を叩く/踏みしめる」の意で、ダンスの足踏み動作を指す。植民地期のフランス・カトリック教会は、bikutsiの率直な性愛的歌詞を「野蛮」として抑圧したが、この抑圧そのものがビクツィを「女性が公の場で禁じられた言葉を語る」空間として強化した側面がある。Anne-Marie Nziéは晩年、カメルーン政府から国民英雄として顕彰され、2016年の逝去時には国葬に近い規模の追悼が行われた。K-Tinoの「Femme du Peuple(バール村の女)」の異名は、彼女がヤウンデのバー・パフォーマンス出身であることに由来する。

影響・派生で結ばれたジャンル

ビクツィ(ベティ伝統)を中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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