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2026年10月4日

マリアッチと「泣ける男」の発明

ランチェラが映画とともに作り上げたメキシコ人像

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ラテン・カリブ伝統・民族古典

帽子と刺繍は、いつからメキシコになったのか

揃いの黒い衣装、銀の刺繍、幅広のソンブレロ。バイオリンとギター、そして高らかに鳴るトランペット。世界中の人が「メキシコの音楽」と聞いて思い浮かべるあの姿——それがマリアッチだ。だが、その姿がメキシコそのものの象徴になったのは、意外なほど最近のことだ。

もともとマリアッチは、ハリスコ州を含むメキシコ西部一帯(コリマ、ナヤリット、ミチョアカン等)の田舎の楽団にすぎなかった。19世紀、この地方の村々では、結婚式や祝いの席に呼ばれる弦楽器中心の小さな楽隊がいた。ビウエラ(マリアッチ独特の小型撥弦楽器)、ギター、大型のギタロンと呼ばれる低音ギター、そしてバイオリンが基本で、当時はトランペットすら入っていなかった。金管の華やかな音は、1930〜40年代にラジオとレコード産業を経て編成に組み込まれたものだ。彼らが演奏していたのは「ソン・ハリシエンセ」と呼ばれる、その土地固有の踊りの曲だった。つまり最初のマリアッチは、全国区の存在ではなく、あくまで一地方の宴会音楽だった。

もう一つ、押さえておきたい言葉がある。「ランチェラ」だ。これはジャンルというより、「牧場(ランチョ)の歌」という意味あいの、素朴で感情をむき出しにする歌の総称だ。田舎の暮らし、失った恋、故郷、酒——そうした題材を、飾らずまっすぐに歌う。マリアッチが「編成・楽団」の名なら、ランチェラは「歌の中身・気分」の名だと考えるといい。この二つが結びついたとき、メキシコの国民的サウンドが立ち上がる。だが、その結びつきを national なものへ押し上げたのは、村の広場ではなかった。首都の映画スタジオと、ラジオの電波だった。

黄金期の映画が「歌う男」を国民像にする

決定的だったのは、1930年代から50年代にかけての「メキシコ映画黄金期」だ。この時期、メキシコの映画産業は爆発的に成長し、スペイン語圏全域に作品を輸出する一大産業になった。そして、その中でとりわけ人気を集めたジャンルが「コメディア・ランチェラ」——牧場を舞台にした歌入りの娯楽映画だった。

1936年の『向こうの大牧場(Allá en el Rancho Grande)』が大当たりして以降、スクリーンには一つの理想像が繰り返し登場する。馬に乗り、拳銃を持ち、女に振られては泣き、酒場で仲間と声を張り上げて歌う——粗野だが情に厚く、誇り高い「チャロ(メキシコのカウボーイ)」の男だ。彼らが歌うのがランチェラであり、伴奏を務めたのがマリアッチだった。田舎の一地方音楽が、映画を通じて「これこそメキシコ人の魂だ」という記号に一気に昇格したのだ。

この理想像を体現したスターの筆頭が、俳優にして歌手のホルヘ・ネグレテだった。クラシックの声楽を学んだ堂々たるバリトンで、スクリーンの中では完璧なチャロを演じた。彼の代表曲『メキシコ・リンド・イ・ケリード(いとしく麗しのメキシコ)』は、外国で死んでも故郷メキシコに埋めてくれ、と歌う望郷の一曲だ。愛国と感傷が溶け合ったこの歌は、いまも国民的な愛唱歌でありつづけている。まず、その声を聴いてほしい。ここに、映画が作り上げた「歌う男」の原型がある。

映画が作った像に、詩を与えた男

映画が「歌う男」の見た目を作ったとすれば、その男に語らせる言葉——つまり歌そのもの——を書いたのは、また別の人物だった。ホセ・アルフレド・ヒメネスである。彼は音楽の正規教育をほとんど受けていない。楽譜も読めなかったと言われる。もとは食堂で働く一介の青年だった。だが、彼が口ずさむようにして生み出した数百曲が、20世紀メキシコの感情そのものを規定した。

ヒメネスの歌の主人公は、たいてい負けている。恋に破れ、金もなく、酒場のカウンターで一人グラスを傾けている。だが、彼はそれを恥じない。むしろ堂々と、王のように振る舞う。その最も有名な結晶が『エル・レイ(王様)』だ。「金もない、玉座もない、女王もいない、それでも俺は王様なんだ」——負け惜しみと言えばそうだが、その負け惜しみを一片の卑屈さもなく歌い切るところに、この歌の凄みがある。ここで一つの逆説が生まれた。強い男とは、勝つ男ではなく、負けてなお泣きながら胸を張れる男だ、という理想である。

これは、それまでの「泣かない男」というマチズモの通念を、ひそかに書き換えるものだった。ランチェラの男は、酒場で堂々と涙を流す。失恋を隠さない。声を裏返して叫ぶ。感情を爆発させることこそが、むしろ男らしさの証明になる——この「泣ける男」という独特の男性像は、ヒメネスの詩とマリアッチの伴奏、そして映画館の暗がりが共同で作り上げたものだった。彼の書いた歌は、いまも酒場で、葬儀で、祝いの席で歌われつづけている。

泣くために作られた、ひとりの男

黄金期の映画が去り、テレビの時代が来ても、この「歌う男」の像は消えなかった。むしろ、それを引き継ぎ、決定版として定着させた歌手が現れる。ビセンテ・フェルナンデスだ。1960年代半ばから半世紀にわたって、彼はチャロ姿でステージに立ちつづけ、観客が泣くまで、時に何時間も歌をやめないことで知られた。彼の『ボルベール・ボルベール(帰って、帰って)』は、去った恋人にもう一度戻ってくれと絞り出すように懇願する曲で、いまやランチェラの代名詞のような一曲になっている。この歌が始まれば、酒場でもスタジアムでも、数千人が一斉に声を合わせる。

ここで、最初の問いに戻ろう。世界が「メキシコらしい」と感じるあの音——揃いの衣装、トランペットの咆哮、酒と涙の歌——は、太古から続く民族の魂ではない。それは19世紀の一地方音楽が、20世紀の映画とラジオという新しい技術に乗り、国家的な自己像として編集された結果だ。作られたものだ、と言うと、まがい物のように聞こえるかもしれない。だが、そうではない。何百万の人々が映画館でその像に自分を重ね、酒場でその歌に本物の涙を流したとき、それは押しも押されもせぬ本物になった。マリアッチが作ったのは、音楽であると同時に、一つの国が「自分はこういう人間だ」と信じるための、堂々と泣ける男の肖像だったのだ。

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