ベトナム現代伝統音楽
20世紀後半のベトナム(パリ・ディアスポラ+ハノイ/ホーチミン市)で、đàn tranh・đàn bầu・đàn nguyệt などの伝統楽器を西洋モダニズム的な書法で用いた現代芸術音楽。Nguyễn Thiện Đạo(Messiaen 門下)、Tôn Thất Tiết、Nguyễn Văn Nam、Vũ Nhật Tân が中心作曲家。
どんな音か
ベトナム現代伝統音楽の音を初めて聴くと、多くの人は『これはベトナム古典なのか、現代西洋音楽なのか』と迷うだろう。実際、Nguyễn Thiện Đạo《Khói Sóng(波の煙)》(1985)を聴くと、đàn tranh(16弦琴)の音が、Messiaen 系譜の色彩的な管弦楽の中に組み込まれ、伝統的な điệu bắc(北方旋法)と20世紀の微分音・スペクトル書法が同時に響く。これはベトナムの伝統的な cải lương(20世紀ベトナム改良劇音楽)・nhã nhạc(フエ宮廷雅楽)・chèo(民俗劇音楽)とは明確に別系統の、20世紀ヨーロッパ現代音楽の書法をベトナム楽器のために応用した『芸術音楽』の系譜だ。1965年前後にパリ音楽院に留学した Nguyễn Thiện Đạo(1940-2015、Olivier Messiaen 門下)と Tôn Thất Tiết(1933-、Jean Rivier 門下)がこの系譜の起点となり、その後 Nguyễn Văn Nam(1932-2020、モスクワ音楽院 Peiko 門下)がハノイ・ホーチミン市で交響楽的な展開を、若い Vũ Nhật Tân(1970-2020)がベルリンでの Helmut Zapf 門下時代を経てハノイに電子音楽を持ち込んだ。
生まれた背景
決定的な起点は1965年前後、Nguyễn Thiện Đạo(1940ハノイ生)がパリ音楽院に留学し Olivier Messiaen 門下となったことだ。彼は Messiaen の『音楽の言語(langage musical)』理論を学びつつ、故郷ハノイの伝統楽器と宮廷雅楽の記憶を持ち込み、両者を統合する独自の書法を構想した。1974年に Messiaen クラス首席で卒業、以降パリ Radio フランス・Paris Autumn Festival の委嘱で《Tuyến Lửa(火の線)》(1969)、《Concerto for Orchestra》(1975)、《Khói Sóng(波の煙)》(1985)を発表、パリ・東京・ハノイを結ぶ現代ベトナム音楽の代表作曲家となった。同時期、Tôn Thất Tiết(1933フエ生、旧グエン朝廷末裔)もパリで Jean Rivier に学び、同様の統合を試みた。両者は1970年代前後にパリで確立、Nguyễn Thiện Đạo・Tôn Thất Tiết の二人がベトナム系現代音楽の『パリ派』を形成した。一方、ハノイに残った Nguyễn Văn Nam(1932ハノイ生)は1963年からモスクワ音楽院で Nikolay Peiko に学び、1974年帰国後は先ずハノイ、後にホーチミン市で活動、社会主義リアリズム的な交響曲書法と伝統音楽の統合を試みた。
聴きどころ
第一に、伝統楽器の使用に注意。Nguyễn Thiện Đạo《Khói Sóng》では đàn tranh(16弦琴)、đàn bầu(一弦琴)、đàn nguyệt(月琴)が西洋管弦楽の中に組み込まれる。これらの楽器の đàn bầu は特に微分音・スライド的な音色変化が主題となる。第二に、điệu(モード)体系の使用。ベトナム伝統音楽の điệu bắc(北方旋法)と điệu nam(南方旋法)を基盤としつつ、20世紀の微分音・スペクトル書法が並走する。第三に、Messiaen 門下期の影響。Nguyễn Thiện Đạo の初期作は Messiaen の『色彩音楽』(『黙示録から4章』への影響)を強く受けている。第四に、政治的コンテキスト。1969年《Tuyến Lửa》はベトナム戦争時代のパリからの反戦音楽的な応答、1985年《Khói Sóng》はドイモイ政策直前の時代を反映する。
発展
1969-90年代を通じ、Nguyễn Thiện Đạo は Radio France・Paris Autumn Festival・Suntory Hall(東京、1992)などの委嘱で《Khói Sóng(波の煙)》(1985)、《Concerto for Orchestra》(1975)、《Khai Giác(悟りの門)》(1993)を発表、パリ・東京・ハノイを結ぶ現代ベトナム音楽の代表作曲家となった。Tôn Thất Tiết も並行して活動、《Terre-Feu》(1975)、《Chu Ky V》(1988)を残した。ハノイの Nguyễn Văn Nam は《交響曲第5番『Mẹ Việt Nam(母なるベトナム)』》(1994)、《交響曲第7番》(2002)で国内交響楽レパートリーを充実させた。1990年代以降、若い世代の Vũ Nhật Tân(1970-2020ハノイ生)がベルリン留学(1993-95、Helmut Zapf 門下)後にハノイで電子音楽・実験音楽を導入、Hanoi New Music Ensemble(2015 設立、Vũ Nhật Tân・Kim Ngọc・SonX ら)が2015年以降の国内前衛シーンの中心となった。Vũ Nhật Tân は2020年8月肝癌により49歳で早逝、彼の死は21世紀ベトナム現代音楽の連続性への打撃となった。
出来事
- 1963: Nguyễn Văn Nam モスクワ音楽院留学
- 1965: Nguyễn Thiện Đạo パリ音楽院留学(Messiaen 門下)
- 1969: Nguyễn Thiện Đạo《Tuyến Lửa》(Radio France 委嘱)
- 1975: Nguyễn Thiện Đạo《Concerto for Orchestra》、南北統一
- 1985: Nguyễn Thiện Đạo《Khói Sóng》
- 1986: ドイモイ政策開始
- 1993: Vũ Nhật Tân ベルリン留学
- 1994: Nguyễn Văn Nam《交響曲第5番》
- 2015: Nguyễn Thiện Đạo 没(75歳、パリ)、Hanoi New Music Ensemble 設立
- 2020: Vũ Nhật Tân 没(49歳、ハノイ)、Nguyễn Văn Nam 没(88歳)
派生・影響
post-serialism / darmstadt-school / total-serialism / musique-concrete のベトナム語圏受容として、20世紀後半のフランス経由の芸術音楽近代化の東南アジア変種。gendai-hogaku(日本現代邦楽)・changjak-gugak(韓国創作国楽)・chinese-national-orchestra と20世紀東アジアの兄弟現象。伝統音楽の cải lương / nhã nhạc の兄弟(同じ楽器を使うが書法が異なる)。
音楽的特徴
楽器đàn tranh(16弦琴)、đàn bầu(一弦琴)、đàn nguyệt(月琴)、đàn nhị(二弦擦弦)、sáo trúc(竹笛)、trống(打楽器群)、時に西洋弦楽四重奏、時に大編成管弦楽、時に電子音・磁気テープ
リズムベトナム伝統音楽の điệu(モード)体系(北方 điệu bắc・南方 điệu nam)を基盤に、微分音・複合拍節・自由書式・確率論的な書法を折衷、時に伝統的な nhịp(拍節)から完全に離脱する。
代表アーティスト
- グエン・ヴァン・ナム (Nguyễn Văn Nam)
- トン・タト・ティエ (Tôn Thất Tiết)
- グエン・ティエン・ダオ (Nguyễn Thiện Đạo)
- ヴー・ニャト・タン (Vũ Nhật Tân)
代表曲
Tuyến Lửa (The Line of Fire) — グエン・ティエン・ダオ (Nguyễn Thiện Đạo) (1969)
Concerto for Orchestra — グエン・ティエン・ダオ (Nguyễn Thiện Đạo) (1975)
Terre-Feu — トン・タト・ティエ (Tôn Thất Tiết) (1975)
Khói Sóng (Smoke of Waves) — グエン・ティエン・ダオ (Nguyễn Thiện Đạo) (1985)
Chu Ky V (Cycle V) — トン・タト・ティエ (Tôn Thất Tiết) (1988)
Khai Giác (The Gate of Enlightenment) — グエン・ティエン・ダオ (Nguyễn Thiện Đạo) (1993)
交響曲第5番「Mẹ Việt Nam(母なるベトナム)」 — グエン・ヴァン・ナム (Nguyễn Văn Nam) (1994)
その後の代表曲
Ku Kê — ヴー・ニャト・タン (Vũ Nhật Tân) (2005)
Silk River — ヴー・ニャト・タン (Vũ Nhật Tân) (2012)
日本との関係
ベトナム現代伝統音楽の日本受容は1970-80年代の Nguyễn Thiện Đạo の日本公演から始まる。彼は1980-2010年代を通じて Suntory Hall(東京)、京都・関西の複数会場で作品を発表、日本のリスナーに現代ベトナム音楽への窓口を開いた。1992年 Suntory Hall での作品発表は特に注目された。武満徹(1930-96)は Nguyễn Thiện Đạo と親交があり、両者は Messiaen 系譜の『非西洋の作曲家によるヨーロッパ現代音楽の応用』の兄弟として相互敬意を持って交流していた。細川俊夫・藤倉大ら日本の現代作曲家は21世紀に Nguyễn Thiện Đạo の系譜を継承する兄弟現象として国際シーンで活動を続けている。2010年代以降、Hanoi New Music Ensemble(2015-)は東京の Suntory Hall や京都芸術大学と定期的に相互演奏を続けており、Vũ Nhật Tân の日本受容は限定的ながら着実に進んでいた。
初めて聴くなら
まず Nguyễn Thiện Đạo《Khói Sóng(波の煙)》(1985)から。彼のパリ Radio フランス 録音がスタンダード。次に《Concerto for Orchestra》(1975)、《Tuyến Lửa(火の線)》(1969)。深く入るなら Tôn Thất Tiết《Terre-Feu》(1975)、《Chu Ky V》(1988、Tran Anh Hung 監督映画『青いパパイヤの香り』1993 の音楽担当と併せて)、Nguyễn Văn Nam《交響曲第5番『Mẹ Việt Nam』》(1994)、Vũ Nhật Tân《Ku Kê》(2005、電子音とベトナム伝統楽器)。ベトナム国外での録音入手は限定的で、Radio フランス Musique や YouTube で断片的に聴ける状態にある。
豆知識
Nguyễn Thiện Đạo は Olivier Messiaen クラスで1974年首席で卒業したが、Messiaen 自身が彼を『私の最も才能ある門下の一人』と評したことは、ベトナム音楽史における記念碑的な瞬間だった。Messiaen は生前、非西洋出身の作曲家を数多く指導したが、東南アジア出身者はほぼ Nguyễn Thiện Đạo のみだった。もう一つ:Tôn Thất Tiết(1933フエ生)の姓『Tôn Thất』は、旧グエン朝廷(1802-1945)の皇族に与えられる姓の一つで、彼はグエン朝の末裔にあたる。フエ宮廷雅楽の記憶を彼自身の作曲に持ち込む書法は、この家系的な背景と切り離せない。彼は1958年ベトナム分断期にパリに移住したが、1990年代以降のドイモイ政策後の帰郷では、旧宮廷の音楽的記憶を新しい世代に伝えるべく複数のマスタークラスを開催した。もう一つ:Vũ Nhật Tân(1970-2020)は2020年8月10日、肝癌により49歳で急逝した。彼はハノイ現代音楽シーンの中核として、電子音楽・実験音楽・ライブ・エレクトロニクスを国内に持ち込み、2015年 Hanoi New Music Ensemble(Kim Ngọc・SonX と共同創設)を通じて若い世代を育てていた。彼の死は21世紀ベトナム現代伝統音楽の連続性への大きな打撃となり、シーン全体が悲嘆にくれた。
