ルネサンス・ミサ曲
ミサ通常文(キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ)を一曲として構成する15〜16世紀の多声声楽形式。
どんな音か
複数の声部が独立したメロディを同時に歌い、それが絡み合って和声を作る——これがルネサンス・ミサ曲の根本的な構造だ。ソプラノ・アルト・テノール・バスが4声から6声ほどに分かれ、一つの声部が主題を提示すると別の声部が続いてそれを模倣(イミテーション)する。声部が重なるにつれて音の厚みが増し、全員が同じ音節を発するところで和音の輝きが頂点に達する。楽器を使わない「ア・カペラ」演奏が基本で、石造りの礼拝堂の残響の中で歌われることを前提に書かれているため、音が消えるまでの余韻もひとつの音楽的要素だ。拍子の刻み方はルネサンス特有の「不均等リズム」で、4拍と3拍が行き来する感覚がある。
生まれた背景
15世紀前半、ブルゴーニュ宮廷の楽師たちが「定旋律(カントゥス・フィルムス)」をテノール声部に置き、その上下に新しい声部を加える技法を洗練させた。ギヨーム・デュファイはこの手法でミサ曲を5楽章一貫した大きな形式にまとめ、「Missa L'homme armé」(1460年頃)のような記念碑的作品を生んだ。「L'homme armé(武装した男)」は当時広く知られた俗謡メロディで、40人以上の作曲家が同じ旋律でミサ曲を書いている。16世紀に入るとジョスカン・デ・プレが声部間のイミテーションをさらに精巧にし、パレストリーナはトリエント公会議(1545〜63年)後の教会音楽改革の中で、歌詞の明瞭さを最優先した穏やかな多声書法を確立した。
聴きどころ
「Missa Pange lingua — ジョスカン・デ・プレ (1515)」のキリエを聴くとき、最初の声部がフレーズを歌い終わる前に次の声部が入ってくる瞬間に注目してほしい。この「重ね入り」がルネサンス多声音楽の推進力だ。パレストリーナの「Missa Papae Marcelli」は声部がより均質で、歌詞が聴き取りやすいように音節をそろえた箇所が多い。この「ホモフォニー」と呼ばれる書法の箇所では、和音が空間を満たす感覚を体験できる。
発展
デュファイの「Missa L'homme armé」など定旋律ミサに始まり、オケゲムが対位法的厳格性を高め、ジョスカン・デ・プレが模倣を駆使した知的構築美に到達した。後期ルネサンスではパレストリーナがローマ楽派の規範を確立、ラッススやヴィクトリアが各国の様式を加えた。プロテスタント側ではタリス、バードがイギリス独自の合唱伝統を育てた。
出来事
- 1450年頃: デュファイ「Missa L'homme armé」
- 1501: オッタヴィアーノ・ペトルッチ、最初の活版楽譜印刷
- 1567: パレストリーナ「教皇マルチェルスのミサ」出版
- 1605: ヴィクトリア「死者のためのミサ曲」出版
派生・影響
バロック時代の協奏様式ミサ(バッハ「ロ短調ミサ」)、古典派・ロマン派のミサ(モーツァルト、ベートーヴェン、ベルディ「レクイエム」)へと継承された。20世紀のアルヴォ・ペルトらホーリー・ミニマリズムでも作曲モデルとして参照されている。
音楽的特徴
楽器無伴奏混声合唱(任意で器楽コラ・パルテ)
リズム通作5楽章、模倣対位法、教会旋法
代表アーティスト
- ギヨーム・デュファイ
- ジョスカン・デ・プレ
- ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
- オルランド・ディ・ラッソ
代表曲
- Missa L'homme armé sexti toni — ギヨーム・デュファイ (1460)
- Missa Prolationum (1480)
- Missa Pange lingua — ジョスカン・デ・プレ (1515)
- Missa Papae Marcelli — ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ (1567)
- Missa pro defunctis (1605)
日本との関係
初めて聴くなら
まず「Missa Papae Marcelli — パレストリーナ (1567)」のグローリア。明瞭な歌詞の朗唱とポリフォニーの対比が聴き取りやすい。次に「Missa Pange lingua — ジョスカン・デ・プレ (1515)」のキリエで、声部の絡み合いがより複雑な世界へ踏み込む。
豆知識
「L'homme armé」の旋律が何故これほど多くの作曲家に選ばれたのかは謎のままだ。政治的な象徴説(十字軍への言及)、単に当時の流行曲だったという説など諸説ある。ジョスカン・デ・プレはルネサンス最大の作曲家とされるが、生涯の正確な年譜は今も確定していない部分がある。
