宗教・霊歌

ハシディズム・ニグン

Hasidic Niggun

ウクライナ・ポーランド / 東ヨーロッパ · 1750年〜

別名: Niggunim

東欧ハシディズム諸派が発達させた、歌詞のない神秘的な集団歌唱。

どんな音か

ニグン(niggun、または niggun)は歌詞を持たない歌だ。「ヤイ・ダイ・ダイ」「ヤビ・ヤビ・ヤビ」といった意味のない音節だけで旋律を歌い、テキストの意味を介さずに感情と祈りを直接表現する形式だ。音域は広くなく、旋律は繰り返しながら微妙に変化する。東ヨーロッパのユダヤ音楽(クレズマー)と共通する旋法(スケール)——短調的で、半音階の動きが独特の哀愁と昂揚感を作る——を使いながら、コンサートではなく礼拝と瞑想の場で歌われる。Shlomo Carlebachは20世紀にニグンを積極的にレコーディングし、英語圏でも広めた歌い手で、「Niggun Neshama」(1969)はその代表録音のひとつ。

生まれた背景

ハシディズムは18世紀にウクライナで始まったユダヤ教の宗教運動で、創始者バール・シェム・トーヴ(ベシュト、1698〜1760年頃)が「祈りと喜びが最高の礼拝だ」という考えを広めた。それ以前の律法学者中心の礼拝に対し、歌・踊り・物語を通じた神との関係を強調したため、農村の民衆に急速に広まった。各ハシディズム系統(リジン、ブレスレフ、ルバヴィッチなど)が固有のニグンを持ち、師匠(レべ)から弟子へ口頭で伝承された。20世紀のホロコーストで東欧ユダヤ社会が壊滅したことで、ニグンの継承は深刻な危機に瀕したが、イスラエルアメリカ合衆国のハシディズム共同体で保存・復興が続けられている。

聴きどころ

最初の数分は「意味のない音節で何が伝わるのか」と戸惑うかもしれない。しかし繰り返しを追ううちに、旋律の「溜め」と「開放」のパターンが体に入ってくる。Shlomo Carlebachの歌は声に独特の温度感があり、即興的なフレーズの伸縮が聴き取れる。複数人で歌う録音(グループニグン)では、ハーモニーより「全員で同じ旋律を違うタイミングで歌う」カノン的な重なりが生じることがある。

発展

19世紀の各王朝で固有レパートリーが整備され、ハバードの第6代レベ・ヨセフ・イツハク・シュナーソン期に旋律集成が進んだ。第二次大戦のショアーで多くの伝承が失われたが、米ニューヨーク・イスラエル・アントワープ等のハシディック共同体で再生され、近年は『ハシディック・ポップ』としてアヴラハム・フリード、シュロイメ・ガーツェルらが大衆化した。

出来事

  • 1760: バール・シェム・トヴ没、ハシディズム拡大
  • 1880: ハバード・ハシディズムでニグン集成開始
  • 1939-45: ホロコーストで東欧伝承大半消失
  • 1990年代: アヴラハム・フリードらハシディック・ポップ世界化

派生・影響

現代ハシディック・ポップ、クレズマー、米国ユダヤ宗教音楽、近年のニッチな『ニグン即興』運動など多分野に発展。

音楽的特徴

楽器声(無伴奏ないしクレズマー楽器)、男声集団

リズム言葉なき音節、有節循環、加速、円陣身体運動

代表アーティスト

  • Shlomo Carlebachアメリカ合衆国 · 1954年〜1994

代表曲

日本との関係

日本でハシディズム音楽はほぼ知られておらず、クレズマーが「ユダヤの民族音楽」として一部で紹介される程度だ。ニグンそのものは専門的な研究書や宗教学の文脈以外ではほとんど登場しない。

初めて聴くなら

Shlomo Carlebachの「Niggun Neshama」(1969)から始めるのが最も入りやすい。彼の歌い方は声に温かみがあり、宗教的な知識がなくても旋律の引力を感じやすい。静かな夜に、歌詞の意味を気にせず旋律だけを追う聴き方が合っている。

豆知識

ハシディズムの教義では、最も深い祈りは言葉を超えた「魂の叫び」だとされる。ニグンはそのための形式で、歌えない人でも「ヤイダイダイ」と口ずさむだけで礼拝に参加できる包摂性を持つ。一部のニグンは「レべが夢の中で受け取った旋律」として伝えられており、作曲者の概念が存在しないか、神から直接与えられたものとして扱われる。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1750年代1960年代ハシディズム・ニグンハシディズム・ニグンイスラエル宗教ポップイスラエル宗教ポップ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
ハシディズム・ニグンを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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