古典
マズルカ
Mazurka
ポーランド / 東ヨーロッパ · 1820〜1950年
ポーランド民俗舞踊由来の3拍子舞曲。ショパンが芸術音楽として再創造した。
どんな音か
マズルカは3拍子だが、ワルツのように1拍目が最も重いわけではない。2拍目または3拍目にアクセントが来ることがあり、このずれが足を踏みたくなるような身体的引力を生む。ショパンのマズルカはピアノ独奏曲として書かれ、もとの舞踊曲のリズムを残しながらも、感情の揺れに合わせてテンポを伸縮させる(ルバート)。「マズルカ イ短調 作品17-4」(1834)では、左手の伴奏が規則正しく刻む間に右手の旋律がわずかに遅れ、あるいは早まる。その揺れがポーランドの郷愁として表現されているとされるが、聴くだけでも感情的な不安定さが伝わる。
生まれた背景
マズルカはポーランドのマゾフシェ地方を起源とする民俗舞踊で、18世紀末ごろから貴族や都市部に広まっていた。ショパン(1810〜1849)はワルシャワで育ち、パリに亡命した後も生涯でマズルカを50曲以上書いた。当時ポーランドはロシア・プロイセン・オーストリアによって分割占領されており、マズルカはショパンにとってポーランドへの回帰と郷愁を音楽に刻む行為だった。20世紀にはヴィトルト・ルトスワフスキが「20のマズルカ 作品50」でこの形式を現代的語法で再解釈した。
聴きどころ
「マズルカ ヘ短調 作品68-4」(1849)はショパンが死の直前に書いたとされる最後のマズルカ。右手の旋律は非常にシンプルだが、旋律の末尾が解決しないまま止まる。その「終わらなさ」が不思議な余韻を残す。演奏者によってテンポの伸縮(ルバート)の大小が全く異なるので、複数の演奏を聴き比べると、楽譜の指示がどれほど解釈の余地を持っているかが分かる。
発展
ショパン「マズルカ集」 作品6(1830)以降、生涯にわたって書き続けられた。シマノフスキ、ルトスワフスキら20世紀ポーランド作曲家もマズルカを書き、民族的アイデンティティを継承した。スクリャービンも初期にマズルカを書いている。
出来事
- 1830: ショパン「マズルカ集」 作品6
- 1849: ショパン「マズルカ ヘ短調」 作品68-4(最後の作品)
- 1925: シマノフスキ「20のマズルカ」 作品50
派生・影響
ポーランド国民楽派、20世紀のポーランド前衛音楽(ルトスワフスキ、ペンデレツキ)が、民俗的素材の現代的解釈にショパンの先例を見出している。
音楽的特徴
楽器ピアノ独奏
リズム3拍子、第2/3拍のアクセント
代表アーティスト
- フレデリック・ショパンポーランド/フランス · 1828年〜1849
- ヴィトルト・ルトスワフスキポーランド · 1945年〜1994
代表曲

マズルカ 嬰ハ短調 作品6-2 — フレデリック・ショパン (1832)

マズルカ イ短調 作品17-4 — フレデリック・ショパン (1834)

マズルカ ヘ短調 作品68-4 — フレデリック・ショパン (1849)
日本との関係
ショパンは日本のピアノ教育に広く浸透しており、ピアノを習う子どもがマズルカに触れる機会は多い。ただしバラードやノクターンと比べると演奏・鑑賞される機会は少ない。日本ショパン協会の演奏会では定期的に取り上げられる。
初めて聴くなら
まず「マズルカ 嬰ハ短調 作品6-2」(1832)のような短い初期作品から入ると、形式が分かりやすい。続けて「マズルカ イ短調 作品17-4」(1834)を聴くと、旋律の終わり方の不思議さに気づく。どちらもクリスチャン・ツィマーマンやマウリツィオ・ポリーニの録音は音が明晰で初心者に聴きやすい。
豆知識
ショパンのマズルカをルバートなしに厳格なテンポで弾くと、民俗舞踊曲の骨格が見えてくる。逆に過度のルバートで弾くとセンチメンタルになりすぎる。この「どこまで揺らすか」の判断がピアニストの解釈の核心で、音楽学者の間でも議論が続いている。ポーランド本国では毎年開かれるショパン・ピアノ・コンクール(ワルシャワ)でマズルカは必須演目の一つ。
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