宗教・霊歌

ハドラ

Hadra

モロッコ・エジプト・シリア / 北アフリカ · 1200年〜

北アフリカ・中東のスーフィー教団で行われる、集団詠唱と身体運動による礼拝集会。

どんな音か

ハドラ(hadra)はアラビア語で「存在」「臨在」を意味し、神や聖者の霊的な存在を集団で呼び込む儀礼の場そのものを指す言葉でもある。音楽的には集団による詠唱(ズィクル)が核で、アッラーの名前や聖句を繰り返し唱えながら次第に速く・大きくなっていく。エジプト系のハドラでは、Sheikh Yasin al-Tuhami(ヤシン・タハーミー師)のような歌い手が長い即興詩を節付きで歌い、聴衆が特定の句で唱和する。リズムは太鼓(ダルブッカやリク)が担い、北アフリカのハドラでは複数人が手拍子で均一なビートを刻む。目的はトランス状態(ワジュド)に至ることで、音楽は感情の媒介として設計されている。

生まれた背景

ハドラはスーフィズム(イスラームの神秘主義)の実践として中世から続く。中東・北アフリカの各スーフィー教団(タリーカ)が独自の形式を持ち、カーディリー教団、シャーズィリー教団、ブルハニー教団などでやり方が異なる。エジプトのモウリド(聖者祭)では、廟の前でハドラが夜通し続き、数百人が同じ唱句を繰り返す光景が今も見られる。Sheikh Yasin al-Tuhami(1943〜)はエジプト・上エジプト出身で、宗教歌唱(インシャード)の歌い手として現代でも最高峰と位置付けられる。

聴きどころ

Sheikh Yasin al-Tuhami「ハドラ Shadhiliyya」は長尺(60分を超える録音もある)のトランス誘導音楽で、最初の数分は落ち着いた詠唱から始まる。20〜30分経過した頃にテンポと音量が変化し、集団の声が厚みを増していく過程を追うと、なぜハドラが「儀礼」として機能するのかが体感できる。集中して聴くのが難しければ、最初の10分と、クライマックス近くの10分を切り抜いて比べる聴き方でも構造は伝わる。

発展

オスマン帝国期にカイロ、ダマスカス、フェズ等の都市で確立し、シャイフ(教団長)に率いられた礼拝音楽として継承された。20世紀以降、観光化と世俗音楽化の波の中で形を変えつつ、モロッコ『サマー』、シリア『ハドラ・シャミーヤ』、エジプト『マウラウィー・ハドラ』など独自地域形態として世界に紹介されている。

出来事

  • 13世紀: シャーズィリー教団成立(チュニジア)
  • 16世紀: ハドラ・シャミーヤがダマスカスで発達
  • 2000年代: フェス世界宗教音楽祭で国際的紹介

派生・影響

モロッコのGnawa儀礼、エジプトのザール儀礼、トルコのセマと相互影響しつつ、ワールド・ミュージック分野でアラブ・スーフィー音楽の代表的形式として再演される。

音楽的特徴

楽器声、ダフ、ベンディール、ナイ、太鼓、身体打楽

リズムジクル定型句、集団呼吸、加速・転調、参加型

代表アーティスト

  • Sheikh Yasin al-Tuhamiエジプト · 1970年〜

代表曲

日本との関係

日本ではスーフィー音楽全般がほとんど知られておらず、ハドラを取り上げたイベントや出版物はきわめて少ない。イスラーム研究者や民族音楽研究者の間では文献で言及されるが、音楽として聴かれる機会はほぼない。

初めて聴くなら

Sheikh Yasin al-Tuhamiの「ハドラ Shadhiliyya」は、宗教的な文脈を知らなくても声の圧力と繰り返しの催眠効果が伝わる。静かに耳を向けられる時間が1時間あれば、どこかで「場の変化」を感じ取れるはずだ。

豆知識

ハドラの「ズィクル(dhikr、記念・想起)」は本来は個人の黙想として行う礼拝形式だったが、スーフィー教団が集団実践に発展させた。正統的なスンニー派の一部からは「踊る礼拝は逸脱だ」と批判されてきた歴史があり、エジプトモロッコでは時期によって当局から禁止されたり保護されたりを繰り返している。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1200年代ハドラハドラマディーフ・ナバウィーマディーフ・ナバウィー凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
ハドラを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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