伝統・民族

アズマリ

Azmari Tradition

エチオピア / 東アフリカ · 1500年〜

エチオピア高原の世襲的吟遊詩人アズマリが、マシンコ(一弦擦弦)とクラール(琴)で即興的に風刺・恋愛・歴史を歌う伝統。

どんな音か

アズマリの演奏は、マシンコ(竹の弓と一本の弦からなる擦弦楽器)の細く鋭い音から始まる。弓が弦をかするたびに、西洋のバイオリンとは全く異なる鼻にかかった音が出る。歌い手はそこに即興的な旋律を乗せ、客の名前・職業・噂話・政治批判を詩にして歌う。一定のメロディーは持ちつつ、テキストは状況に応じてその場で作られる。クラール(枠琴の一種)が伴奏に加わると音の幅が広がり、低い弦が通奏低音のように流れる。エチオピア音楽特有の「ペンタトニック(五音音階)」的な音組織が基盤にあるが、装飾音を多用するため旋律線は複雑に見える。

生まれた背景

アズマリはアムハラ語で「歌う者」を意味し、エチオピア高原社会において世襲の職業吟遊詩人として位置づけられてきた。王宮から農村の宴席まで、祝祭や葬儀に招かれて即興の詩と音楽を提供した。しかし社会的な身分は曖昧で、歓迎される一方で社会の周縁に置かれ、「魔力を持つ者」として距離を置かれることもあったと言われる。20世紀に入るとアズマリの舞台はアディスアベバの酒場(テジ・ベット)に移り、宮廷文化から都市の夜の娯楽へと文脈が変わった。Asnaketch Workuは1960〜70年代のアディスアベバで最も著名なアズマリ歌手の一人として知られ、映画音楽にも携わった。

聴きどころ

Asnaketch Workuの「Tezeta」(1972年)を聴くなら、まずマシンコの弓の動きが作る鋭い倍音に慣れることから始める。次に声の装飾——一つの音の周りをくるくると回るような細かいビブラートと滑降を追う。「テゼタ」とはアムハラ語で「郷愁」「遠い記憶」を意味し、エチオピア音楽の重要な情緒の一つ。歌詞の内容を追えなくても、声質から届いてくるものがある。

発展

1960~70年代の都市化でアディスアベバのアズマリ・ベットが観光化し、世俗的なナイトクラブのエンタテインメントへ転じた。1990年代以降、伝統演奏家アスナケッチ・ウォルクや、フィキミマリャム・ゲブルー、若手のテレフェ・テスファイがエチオ・ジャズや現代コンテンポラリーと交差した。

出来事

  • 1855: 皇帝テオドロス2世期、宮廷に複数のアズマリ
  • 1974: 帝政崩壊・デルグ革命でアズマリ・ベットの一部閉鎖
  • 2000: フィキミマリャム・ゲブルー欧州初公演
  • 2018: アディス・アベバでアズマリ復興運動

派生・影響

エチオ・ジャズ(ムラトゥ・アスタトゥケのキニット利用)、エチオピア正教会音楽、現代エチオ・ポップに影響。

音楽的特徴

楽器マシンコ、クラール、ケベロ太鼓、声

リズムキニット5モード、即興風刺、3/4と6/8の交替

代表アーティスト

  • Asnaketch Workuエチオピア · 1955年〜2011

代表曲

日本との関係

日本では知名度はほぼない。エチオピア音楽全体への関心は2000年代以降の「エチオジャズ」ブーム(テレケ・ゲタ、ムラトゥ・アスタケらの再評価)に伴って高まったが、アズマリの伝統そのものは専門的なワールドミュージック愛好家以外にはほとんど届いていない。

初めて聴くなら

Asnaketch Workuの「Tezeta」(1972年)は、アズマリの伝統と都市的な洗練が交差した録音として入りやすい。マシンコの音を初めて聴く人には少し異質に感じるかもしれないが、30秒も聴けば慣れる。この一曲を繰り返し聴いてから他のエチオピア音楽に広げると、音階や装飾の共通言語が見えてくる。

豆知識

「テゼタ」はエチオピア音楽の特定のモード(音楽的な音の組み方)でもあり、郷愁の感情と音の構造が同じ言葉で呼ばれるという珍しい例だ。西洋音楽でいえば「短調」が「悲しみ」と完全に同一視されているようなものに近い。また、アズマリが公衆の面前で為政者を批判する風刺の詩を歌う習慣は、エチオピアの各時代の権力者にとって頭痛の種であり、デルグ軍事政権(1974〜1991年)の時代には活動を制限されたアズマリもいたとされる。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1500年代1960年代アズマリアズマリエチオジャズエチオジャズ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
アズマリを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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