ワイノ
ペルー・ボリビア・エクアドル高地のアンデス先住民ケチュア・アイマラ系民族の伝統舞踊歌で、植民地以前から続く中核ジャンル。
まずはここから
ひとことで言うとペルー・ボリビア・エクアドル高地のアンデス先住民ケチュア・アイマラ系民族の伝統舞踊歌で、植民地以前から続く中核ジャンル。
まずはこの曲からDina Páucar — Al filo de tu partida
代表的な人Dina Páucar
どんな音か
聴きどころ
初めて聴くなら
代表アーティスト
- Dina Páucar
生まれた背景
ワイノはアンデス先住民の古代音楽に由来し、13世紀のインカ帝国時代にも類似の音楽形式が存在したと推定されている。スペイン征服後、キリスト教化される過程でもワイノは『民間宗教音楽』として継承され、植民地時代から近代にかけて、アンデス先住民のアイデンティティの中核を成してきた。
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20世紀中盤のペルー・ボリビア民族主義運動では『革命の音楽』として政治化され、1960〜1970年代のフォルクローレ・ムーブメントで国際的に紹介された。
音楽的特徴の詳細
楽器ケーナ、サンポーニャ、チャランゴ、ボンボ、声
リズム速い2/4、アンデス五音音階、男女輪舞
発展
1940年代以降のリマ・ラパス都市化でワイノが地方労働者の故郷思慕の歌として商業録音され、ピチタ・カラパチと、ピチー・カラパチが代表となった。20世紀後半のラ・ヌエバ・カンシオン・ペルアナ運動で社会派ワイノが、21世紀のチチャ・ロックでも応用された。
出来事
- 1940s: 都市化と商業録音
- 1968: ペルー左派軍政の文化政策で国民音楽化
- 1985: チチャ・ロック融合
- 2010: ユネスコ無形文化遺産候補リスト
派生・影響
チチャ、サヤ、カポラル、ヌエバ・カンシオンに影響。
その後の代表曲
- Dina Páucar — Al filo de tu partida (1998)
日本との関係
日本でのワイノの認知は、1960-70年代のフォルクローレ・ブームで一気に高まり、Los Kjarkas(ボリビア、Andes・フォルクローレの代表)やInti-Illimaniといった汎アンデス・フォルクローレ・グループの日本ツアーが1970-80年代に相次いだ。1970年代の日本のフォークソング世代(高石ともや、加川良ら)がケーナやチャランゴを取り入れた楽曲を録音した経緯もある。現代では日本のペルー日系人コミュニティ(愛知、静岡、群馬に多い)の家族的な音楽的アイデンティティとして継承されており、地域の祭りで生演奏されることが定着している。Dina Páucarら現代ワイノ歌手の来日はまだ限定的だ。
豆知識
「ワイノ(wayñu)」はケチュア語で「二人組の踊り」を意味し、二人ずつペアになって輪を作りながら踊る舞踊形式が元になっている。インカ帝国以前(15世紀以前)から存在した音楽形式とされ、コンキスタドール到来(1532)後もキリスト教の祭祀に取り込まれる形で存続した。
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ボリビアのLos Kjarkas『Llorando se Fue』(1981)は、1989年のフランスのグループKaomaによって『Lambada』としてサンプリングされ世界的ヒットになったが、当時Los Kjarkasは無許可使用として長期の訴訟を起こし、最終的に原作クレジットと印税を勝ち取った。この事件は「フォルクローレ音楽の著作権」という現代的な議論を先取りした重要な判例になっている。
影響・派生で結ばれたジャンル
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