アルメニア聖歌
アルメニア使徒教会の典礼で歌われる古代キリスト教聖歌。シャラカン(讃歌集)を中心とする独自体系。
どんな音か
古い教会音響に最適化された無伴奏声楽。単旋律だが音程の動きに内的な深さがあり、グレゴリオ聖歌とも異なる独自の音階と装飾を持つ。ヴォーカルは澄明で、倍音を含ませつつも焦点を絞った響き。言葉(主にアルメニア語またはアルメニア古語)の子音が刻まれ、音節ごとの発音が明確で、テキストと音が密接に結合している。テンポは遅く、祝祷的で、沈黙を含む緊張感のある時間軸。
生まれた背景
4世紀にアルメニア使徒教会がキリスト教を受け入れた際、独自の典礼様式が形成された。シャラカン(讃歌集)は5世紀から7世紀にかけて成立し、中世を通じて編纂・拡大された。楽譜記法がアルメニア独自のフマッシュ・ネウマ(一種のニューマティック記譜)であったため、グレゴリオ聖歌とは独立した伝統として存続。12世紀から17世紀にかけて、大規模な教会合唱伝統も平行して発展した。
聴きどころ
単旋律の移ろいる中で、言葉のアクセントと旋律のピークがずれることがある。これによって、意味と音が独立した存在として聴き手を揺さぶる。長い弧を描く句の中で、予想外の高さや低さに到達する瞬間の息遣いに耳を澄ますと、5世紀の宗教的確信が音として蘇ったように感じられる。
発展
12-13世紀のネルセス4世・ネルセス・シュノルハリらによる多くの讃歌が現典礼の核となった。19世紀コミタス・ヴァルダペット(1869-1935)が古写本研究と民謡収集を融合し、近代アルメニア音楽の基礎を築いた。1915年アルメニア人虐殺で多くの伝承者が失われた後も、エチミアジン総本山と海外ディアスポラ教会で継承される。
出来事
- 301: アルメニア、キリスト教国教化
- 405: メスロプ・マシュトツ、アルメニア文字発明
- 12世紀: ネルセス・シュノルハリ、シャラカン詩作
- 1915: アルメニア人虐殺、伝承者大量喪失
- 1936: コミタスのアルメニア音楽研究遺産が公的整備
派生・影響
コミタスの研究は近代アルメニア音楽全般・西欧音楽への東方音響導入の基盤となった。アラム・ハチャトゥリアン以降のアルメニア作曲家にも旋法素材を提供した。
音楽的特徴
楽器男声斉唱(無伴奏)、補助でオルガン・ドゥドゥク
リズム自由リズム、8旋法、ハズ記譜、グラバル(古典アルメニア語)
代表アーティスト
- Komitas Vardapet
代表曲
Patarag Selections — Komitas Vardapet
Khorhurd Khorin (Sharakan) — Komitas Vardapet (1915)
日本との関係
日本での知名度は限定的。中東・オリエント音楽への学術的関心層や、宗教音楽全般の収集者によってのみ知られている。インディペンデント・ラベルやアカデミック・レーベルでの再発は散発的。
初めて聴くなら
Komitas Vardapetが20世紀初頭に採譜・編集した讃歌集から。アルメニア語の理解がなくても、言葉の重さと旋律の動きが協力して生じる祭儀的な空間に身を置くことから始められる。夕方の暗がりで聴くことを勧める。
豆知識
Komitas Vardapetはアルメニア音楽の救世主的人物で、音階体系を理論化し、民間の讃歌と教会の典礼音楽を統合したカタログを作成した。彼自身、アルメニア大虐殺(1915年)の生き残りで、PTSD的な後遺症を抱えながら録音・記録活動を続けた。
