謡曲
能の声楽部分。シテ・ワキ・地謡による無伴奏的な歌唱。
どんな音か
声の出し方は腹式呼吸を基にした独特の「謡い(うたい)」で、西洋オペラのように音を前に飛ばすよりも、体の中に音を響かせる。音程はぼんやりと変化し、特定の音階にきっちり当てはまらない。地謡(合唱)は数人が同じ旋律を声をそろえるが、完全なユニゾンではなく微妙に個人差があり、独特の「揺れ」が生まれる。リズムは「柔らか拍子」と「強拍子」の2系統があり、打楽器(小鼓・大鼓)と連動している。歌詞は文語体の古典日本語で、和歌・漢詩の引用が多い。
生まれた背景
14世紀後半、世阿弥と観阿弥父子が足利将軍家の後援のもとで猿楽を芸術として整え、現在の能の形式を確立した。世阿弥は謡の理論を「花伝書」などに記し、演技・音楽・詩の三位一体として能を定義した。江戸時代には幕府の式楽として保護され、武家の嗜みとして謡の稽古が普及した——庶民でも謡本を買って習うことができる「大衆教養」だった時代がある。梅若実(初代)は明治・大正期に能楽師として海外公演を行い、謡曲を国際的に紹介した先駆者だ。
聴きどころ
「羽衣」の冒頭でシテ(主役)の謡が始まる前、地謡のゆっくりした出だしを聴いてほしい——声の入り方が息を「押す」のではなく「持ち上げる」ような感触がある。音程が特定の音に「決まる」のではなく「近づいては離れる」動きを、音程を追うのでなく声の色の変化として聴くと謡の論理がつかみやすい。打楽器の「ポン」「チョン」という乾いた音は声の空白を埋める役割を持つ。
発展
明治維新の混乱期に一時衰退したが、岩倉具視ら維新政府要人の支援で再興され、能楽社(後の能楽協会)が組織化された。20世紀には海外公演や現代能の創作も行われ、武満徹・池辺晋一郎ら現代作曲家が能の素材を取り入れた。
出来事
- 14世紀: 観阿弥・世阿弥による能楽の大成。
- 1402年頃: 世阿弥『風姿花伝』成立。
- 江戸期: 武家式楽として五流派制度化。
- 1881年: 能楽社設立で再興。
- 2008年: 能楽がユネスコ無形文化遺産代表一覧表に登録(2001年宣言を統合)。
派生・影響
能の様式(ヨワ吟・ツヨ吟・サシ・クセ・ノリ)は日本舞踊・狂言と同根の芸を共有し、近代演劇・能舞台での新作能にも継承される。
音楽的特徴
楽器シテ・ワキ・地謡(声)、能管(笛)、小鼓、大鼓、太鼓
リズムヨワ吟・ツヨ吟の二大音階、序破急、囃子のヤ・ハの掛け声
代表アーティスト
- 梅若実
代表曲
日本との関係
謡曲は能楽の入口として、現代でも稽古人口が存在する。能楽堂は東京・大阪・京都などに現存し、定期公演が行われている。歌舞伎・文楽と並んで「ユネスコ無形文化遺産」に登録されており、学校教育の一環として映像教材が使われることもある。舞台照明なしの静寂の中で聴く演奏の空気は録音では再現しにくい。
初めて聴くなら
「羽衣」の録音(梅若実系または観世流の演者のもの)を夜、照明を落として聴くと、音の輪郭より「間(ま)」の意味が感じやすい。まず地謡の声質が西洋合唱とどれくらい違うかを確認し、次に打楽器の「間」がどのタイミングに入るかを数えてみると、謡のリズム構造の特異さに気づく。
豆知識
世阿弥は「秘すれば花」という表現を残した——隠すことで美しさが生まれるという逆説が能の美学の核にある。これは「見せない」ことへの美的価値づけで、謡曲でも「言葉にしない感情の余白」を観客が補完する構造になっている。
