モーリタニア・イガウィン
モーリタニアのムーア人社会に伝わる世襲音楽家階級イガウィンが担う、アラブ・ベルベル・サヘルが融合した宮廷音楽。
どんな音か
モーリタニアのイガウィン音楽はアルドゥーという独自の理論体系を持つ。5つの旋法(ブック)と感情の状態(白、黒、中間など)が対応し、演奏者は場の状況や儀礼の性格によって旋法を選ぶ。主な楽器は女性が弾くアルドゥーン(ルート系の弦楽器)と、男性が演奏する打楽器タレブン。歌い手は長く伸ばした旋律線の中に細かい装飾音を差し込む。アラブ音楽の影響を受けながらも、サハラ砂漠のベルベル音楽とサブサハラ・アフリカのリズムが混合した独自の音色を持つ。Dimi Mint Abba(ディミ・ミント・アバ)の歌声は低音から高音まで幅広く動き、鼻腔に響く倍音が多い。
生まれた背景
モーリタニアのムーア人(アラブ・ベルベル混成)社会では、イガウィンは世襲の音楽家階級として宮廷に仕えてきた。その起源は少なくとも11〜12世紀まで遡るとされ、アラビア語の詩の伝統とサハラを越えた交易路が交わる場所で形成された。イスラムの宗教音楽と世俗の宮廷音楽の両方を担い、歌詞はアラビア語とハッサーニーヤ方言で書かれる。現代では都市化とFM放送の普及で演奏機会が減っているが、結婚式や国民的行事での演奏は続いている。
聴きどころ
Dimi Mint Abba「Moorish Music from Mauritania」(1990)では、アルドゥーンの弦を爪弾く乾いた音から聴き始めてほしい。砂漠の乾燥した空気を思わせる音響。歌が入るとその声の倍音の豊かさが対照的に際立つ。旋律の終わりに向かってテンポが緩むことがあり、その伸縮が演奏者の呼吸と同期している。
発展
20世紀後半、ディミ・ミント・アバが国際ワールドミュージック舞台でモーリタニア音楽の代名詞となった。乾季のキャンプ夜会から都市の結婚式へと演奏の場が移り、アラビア語マイク歌謡とブレンドされたポップ化が進んだ。21世紀には若手歌手が西側スタジオ録音を経て世界に紹介されている。
出来事
- 11世紀: アルモラビド朝期にアラブ・ベルベル文化融合が進む
- 1960: モーリタニア独立後、国立アンサンブルが結成
- 1989: ディミ・ミント・アバがウンム・クルスーム賞獲得
- 2000s: 西側のレーベルが録音を開始
派生・影響
アラブ古典マカーム、マンデ・グリオ、サヘルの太鼓伝統、現代マグレブ・ポップに影響を与え、影響を受けた。
音楽的特徴
楽器ティディニット、アルディン、トベル太鼓、声
リズム5モード体系、白・黒・斑の色彩理論、複合拍子
代表アーティスト
- Dimi Mint Abba
代表曲
Moorish Music from Mauritania — Dimi Mint Abba (1990)
日本との関係
モーリタニアという国自体が日本で知られていないため、その音楽の認知度は研究者の間でもごく限られている。西アフリカの音楽として十把一絡げに扱われることも多く、イガウィンの独自性が伝わることはまれ。
初めて聴くなら
Dimi Mint Abba「Moorish Music from Mauritania」はVDE-GALLOレーベルの録音で、音質が良く入門として適している。まず歌声だけに注意を向け、次に弦楽器との関係を追う聴き方で二度聴くと構造が分かりやすい。
豆知識
アルドゥー理論の「旋法の色」概念(白い旋法は明るく祝祭的、黒い旋法は憂鬱で深夜向きなど)はギリシャの古典音楽理論のエトス(旋法と感情の対応)と似た発想を持つが、独自に発展したものとされる。Dimi Mint Abba はモーリタニア独立後の国民的象徴として政府から表彰されており、その録音はユネスコの無形文化遺産保護活動にも関わっている。
