Cantopop
1980〜90年代、レスリー・チャンや四大天王が香港の街を熱狂させた広東語の大衆ポップ。返還前夜の高揚と不安をバラードに刻んだ音楽だ。
What it sounds like
広東語(香港、広東省、海外の華人コミュニティ)で歌われるポップ。テンポはBPM70〜95とゆったりめのバラードが中心で、サビでメロディが大きく盛り上がり、歌手は声を張って感情を歌い切る。編成はシンセサイザー、ストリングス、ピアノ、ドラム、エレキギターが中心。題材は恋愛や別れ、香港の街並み、人生、家族といった身近なものが多い。サウンドは時代で変化した。1980年代はリバーブを深くかけ、シンセとストリングスを分厚く重ねた華やかな音作りが主流だったが、2000年代以降は音数を絞り、現代ポップ寄りのシンプルな音作りへ移った。
How it came about
広東ポップが芽生えたのは1970年代前半の香港だ。それまで主流だった英語・北京語のポップに対し、歌手の許冠傑(サミュエル・ホイ)が、1974年の映画『鬼馬雙星』の主題歌をはじめとするヒットで、広東語のポップを主流へと押し上げた。1980年代には張國榮(レスリー・チャン)、その最大のライバルとされた譚詠麟(アラン・タム)、伸びやかな歌唱で「歌神」と呼ばれた張学友(ジャッキー・チョン)、妖艶なステージで観客を魅了した梅艷芳(アニタ・ムイ)らが黄金期を築く。1990年代に入ると、映画も音楽も席巻した4人のスター、劉徳華(アンディ・ラウ)、張学友、黎明(レオン・ライ)、郭富城(アーロン・クォック)が「四大天王」と呼ばれた。同じ頃、女性ディーバとして王菲(フェイ・ウォン)が並び立つ。2003年に張國榮が亡くなった頃を境に勢いは陰り、その後はMandopop(北京語ポップ)やK-popに市場を奪われてジャンルは退潮した。いまは主流の座を譲ったが、2018年にデビューしたグループMIRRORの人気や広東語インディーの台頭で、シーンは途絶えることなく息を吹き返しつつある。
What to listen for
広東語は音の高低(声調)で意味が変わる言語だ。だから、声調の高低を無視してメロディをつけると、サビで言葉が別の単語に聞こえてしまうことがある。広東ポップでは、このメロディの上下と歌詞の声調を綿密にすり合わせて作る。聴きどころは、サビへ向けて分厚く立ち上がるストリングスと、最後のサビで歌手がメロディを離れて即興的に歌い崩す一節。1980〜90年代の楽曲は日本のシティポップやAOR、欧米のバラードのカバーが非常に多く、原曲との比較も面白い。
If you only hear one thing
まずは古典の一曲、張國榮(レスリー・チャン)『風繼續吹』(1983)。彼の伸びやかな歌唱と広東ポップ黄金期の幕開けを象徴するバラードだ。続いて1990年代を決定づけた王菲(フェイ・ウォン)『容易受傷的女人』(1992)。歌詞を聴くなら陳奕迅(イーソン・チャン)『明年今日』(2002)を。作詞は名手・林夕で、同じメロディに別の歌詞を付けた北京語版『十年』としても広く知られる名曲だ。現在の復活ぶりを一曲でつかむなら、2018年デビューのグループMIRRORの『Boss』(2021)。さらに一枚通して浸るなら、張國榮が自身に影響を与えた歌手たちへ捧げた全曲カバーのアルバム『Salute』(1989)を勧めたい。
Trivia
張國榮(レスリー・チャン)は、性別の境界を軽やかに越える華やかな佇まいで一時代を体現したスターだった。2003年4月1日、香港のマンダリン・オリエンタル・ホテルで46歳の生涯を閉じる。その死は香港の大衆文化を大きな喪失感で覆い、いまも毎年命日には大規模な追悼イベントが開かれている。軽い余話をひとつ。1990年代を席巻した「四大天王」の呼び名は1992年頃に定着し、4人は10年近く一括りで語られたが、実際にグループを組んだことも、4人そろって1曲を録音したこともなかった。
